<RaspberryPiZero, Arduino, Python, GoogleDocs>
フレッドホイルの小説のタイトルを借りれば「卒業研究のテーマ決めは、10月1日では遅すぎる。」そう、遅すぎたのだ!
自分の学科の学生は感覚的に8割以上が自分でテーマを設定する。研究室にテーマなんて落ちてない、一応名目上は理系なんですがね。テーマは様々で文系、理系、文理融合系、作品制作系とよりどりみどり。けど、先輩から受け継いだりしてないので、基本的に内容はうすいものが多いのですが...。まぁ、それはしょうがないとしましょう。
第1章:ようこそ、放任至上主義の研究室へ。
論文、それは若きHiBi少年にとって未知との遭遇であった。また、同時に甘美の響きでもあった。論文ってなんか、よう分からんけどかっこいいよね。
担当教員の稲村先生は、もちろん「なんかみんなの好きなこと研究にしてね」というスタンスである。その背後には、「そんなに関与しないけど」という意図があることを薄々気づいていたのは自分だけではないであろう。
研究テーマ出しをふわふわとやっていると、同居人から「え、そんなテーマでいいの?本当に?」と突っ込まれてしまい自信を無くしていった。また、仲良くしていただいている世界に数人しかいないとされるシアノバクテリアの体内時計研究者の先生から「いい研究テーマなんて学部レベルで見つけるなんてほぼ不可能。先生からもらったほうがいい。」とのこと。まぁ、そんなんだろうけど...。でもそうなったら、ニュージーランドの川の人権に関する研究をしないといけないことになるけど大丈夫なのか。
結局、暫定的にはバイトで音声認識エンジン開発に関わっており、その方面の知見を生かし高めたいと思い、動物系の音声認識系を研究しようとした。また、データ解析系をやりたかったので、植物をセンサーとして用いる研究を行おうとした。だが、専門的で機材が必要だと環境が整ってなさすぎるので、厳しいということでモチベがなくなっていった。元々そんなになかったんだけども。
ちょうどこの頃は遊びで、雑草のタイムラプスとかやってましたね。
あとは、海の日にpH測りに行くこととか。なんやかんやで、この遊びが後々の研究につながっていくとは思わなかった。
第2章:卒研とか、みんなどうせやってないでしょ?
放任主義の先生ばかりなので、他の研究室のみんなも余裕かまして、卒研なんてどこ吹く風。自分もそんな風に流されバンコクの学生との共同映像制作プロジェクトに参加していましたね。あとは、旅行でメキシコのラパスに行ってたかな。夏季休業中はなんもやってなかった。ちょっと待て、大学の夏休みって夏じゃないよね、9月いっぱいまでだよね...?
第3章:10月1日では遅すぎる。
なにもしないまま、10月1日を迎えてしまった。しかし、担当教員は想定内である。担当教員が川に関する知見があるので、自分も関心がある川に焦点を当てた。そこで、大木町という川というか農業用水路が全国でも特に多い地域を紹介してもらった。なんかコネがあると思うじゃん?ないんだよ!本当にただ紹介されただけだよ!この時期にコネづくりからスタートだよ...。10月1日では遅すぎる。
仕方ないので、とりあえず見学にいくと、超絶運良くある施設に大木町の有識者たちが集まって仲良くなってしまったのだ。そこで、役所の人の名刺とかいろいろもらい。1ミクロンも具体的にやること考えてないけど、ぺらぺらとそれっぽいことを並び立てて関心を引く作戦が功を奏した。
なんやかんやで、大木町嘱託職員でまちづくり相談員の西川さんとつながることができ、非常にお世話になった。昔々、自分と同じく九州大学の学生だったそうで、「まさかここで九州大学のコネがいきてくるとは...」と関心したもの。西川さんの登場により、10月1日で遅すぎることはなくなってしまったのだ。
西川さんは非常に昔の地名のネーミングへの感度が高く、地名の由来をいろいろ教えていただいた。が、残念ながらいろいろ自分がそれに関して執筆できるほど覚えてはないのだ...。聞いたら、思い出すってやつだ。
第4章:環境問題には手を出すな!
迷走しながらも、徐々にやるべきことの輪郭がはっきりしてきた。そして、堀の水の水質汚濁という環境問題に手を出してしまった。環境問題はあってないようなものである。というのも、誰かが環境問題はあります!と言えばあるし、誰も環境問題があると言わなければないのだ。STAP細胞はあります!と言っても認められなかったのだが...。
水道水も堀の水使ってないし問題ないもんってな感じで住民たちが堀に向ける環境意識は強くない。堀は汚いのが当たり前になりつつあり、このままいって、キレイな時代の堀を知っている世代がいなくなった時、誰も汚い状態になにも疑問を持たなくなるのではないか...。さらに、環境問題は利害関係も関わってくる。あー、いやだいやだ...。環境問題に興味はあるが、もうプロジェクト当事者として手を出したくはない...。関わってくる範囲が広範囲すぎて一学生だけではカバーできない。
後戻りもできないので、水質モニタリング装置の試作品を作ったり、参考資料を散らかしたりするために、学生室を我ものとして物置部屋代わりに利用した。どうせ他の学生も来ないしね。この部屋の9割以上は私物である。モニター3台置いているが、特に理由はなく、「なんか置いてたら研究室っぽく見えるから」という理由に他ならない。
資料を読み散らかしつ、論文を執筆しつつ、寝泊りしつつ、卒業論文を完成へと導いた。しかし、「いざ論文を印刷して提出するぞ」という段階で、担当教員の名前を稲村徳洲にしてしまっていたのだ!(◯徳州 X徳洲)。謝辞で名前間違えるとか、謝辞の意義を疑うよね。あー、見直して気づいてよかった。
第5章:宇宙フラッシュトークだ!
フラッシュトークが、普通の卒研発表。フラッシュトークとは、1分間で自分の卒業研究を教授陣の前で発表すること。質疑応答はない。これが、今年の芸術情報設計学科のデファクトスタンダードであった。というのも、来年度から芸術情報設計学科は解体される。そもそも、この学科自体が九州芸術工科大学(以下:芸工大)と九州大学が合併したときに、行き場のない芸工大の教養科目の先生たちを詰め合わせてそれっぽく仕立て上げた学科だったというのは内緒だぞ!
ということで、新たな芸工学部の始まりとして、我々は卒研発表モルモットになってしまったのである。ただし、フラッシュトークだけでなく、ポスター発表も行う必要がある。卒業論文書いたと浮かれているのも、束の間。すぐに卒論の概要、発表用スライド、ポスターの、卒研3種の神器を卒業論文を元に生成しなければいけない。なむなむ...
卒研発表は全員終日参加必須だが、それを知らずに発表まで余裕で時間あるし、と思い同居人と宇宙パトロールルル子を当然の如く嗜んでいた。昼休み前につくと、みんなちゃんと着席して話を聞いているではないか...。特に問題なく、忍び込み事なきをえて、大学生活に終わりを告げた。バイバイ芸情。
あとがき
自分の卒研は、内容は広く浅かったので、副査の先生からは「雑、読みづらい」と好評でした。まぁ、「やってることはおもしろいから、続ければ?」と言ってもらえたので満足です。せっかく、自分が大木町とのコネを作ることができたので、後輩に是非とも自分のプロジェクトを引き継いでもらいたいものです。全部終わったと思えば、後継者問題か。自分の学科が解体されてできる未来構想デザインコースで入る学生が4年になる時も、このプロジェクトが引き継がれていれば...。さてはて、自分は未来への布石にはなれたのでしょうか。
↓ 卒研のプロジェクトに関するGithubページ
0コメント